主治医に退行の話をしてみた。この主治医の前で、退行現象は自覚するかぎり出ていないが、そのうち出てきてしまうのかもしれない。最初に退行を自覚したのは、母宅だったり、友宅であったりした。そのうち、母宅で彼氏が居ると、そこからさらに退行(ほとんど幼児化)したり、出かけ先だと、父親に(わたしは今でも、父より母に懐いているはずだが)べったりくっついていたりするのに気づく。もっとも、わたしの父親ぎらいはかなりひどかった――エレクトラ・コンプレックス*1てそれなーに、という有り様――ので、ちょっとぐらい父についていたところで、甘ったれな実際年齢より年下の子供に見えることは(たぶん)ない。
妹がわたしをどんなふうにとらえるか、それが怖い。不安だ。

遠い記憶が、あざやかに浮かび上がる。
わたしは3歳くらいで、積み木が大好きだった。3歳から6歳の春まで、わたしは「昼間の自宅」を知らない。休暇以外は学校へ行っていたり、治療があったりして、その場所で過ごしたことがないから、わたしは今でも、昼間に自宅に居ると落ち着かない。それは単に「落ち着かない」だけであって「活発な状態」ではないため、何をするとでもなく本を読み散らかしてみたり、やたらと洗い物をしてみたり、ゲームをしたり、果てには転がってみたりするのだが、居心地への違和感は取り去れず、何が理由かわかるまで、わたしはひどくそれに対して抵抗を示し、戦果は無論ほとんど無く、からまわりをして、憂鬱な気持ちになることある。

3歳のわたしが積み木をしている。保育所には、わたしだけしか居ない、こんな朝早くに子供をあずけに来る親は居なくて、やっぱり夜に暗くなるまで子供をあずける親も居なかった。早すぎたり遅すぎたりすると、保母さんたちは多少の不安をおぼえる。
「あれくちゃん、いっしょに遊んであげたいけど、先生お仕事しなきゃいけない。ごめんね」
わたしは、ずっとこの意味が理解できなかった。保母さんには、子供のわからない書類だのスケジュール調節だの、そういった仕事がある。母や父と同じで、働く大人なのだ。だから、何故わたしの相手をできないと謝るのか、わたしはもう、わからなかった。
「つみきであそぶ」
「ひとりであそぶの?」
「あそんでたら、だれかくるよ」
普通なら、泣いて暴れるのだろうか。ぐずってふくれるのだろうか。
「せんせい、おしごといいの?」
そこには、何かをあきらめている、わたしが居た。いつまでもお昼寝で寝つけず、かといって起きるのは遅い。食事やトイレがうまくできず、プールも怖いと言って入りたがらない。遊ぶときも、誰かとすすんで仲良くなれそうにないわたしが、仕事に対する態度をみせると、何故誰もが戸惑うのか、わたしには理解できなかった。
ほんとうにさみしいときに、そばにいてくれないのが、あれくのおかあさんと、おとうさん。

そんな具合だから、保母さんがちょっと目を離すことも、わたしにはひどく身近なことに感じられたのだった。
なのに、今となって、『ひとりあそび』が途端に下手になってしまった自分に気づく。そういう自分に気づいたわたしは、あのときの保母さん以上に戸惑う。
「寂しい」
どうして眠っている人を起こすのかと問われたわたしは、そう答えた。遠距離恋愛でなかなか逢えない彼氏が、わたしと違いよく眠る人で、早期覚醒と不眠をかかえたわたしは、手許には携帯くらいしかなく、だからといって、携帯のアプリケーションが彼氏より大好きというわけでもなく、寝顔を眺めているうちに、自分ではどうしようもない妙な感情がわきおこる。
それは今まで、感謝や愛情だった。
愛情が喪失の恐怖や不安に変わり、ひどく寂しくなる。こうして眠っていて、眠っているかぎりどこへ行くこともないのだと、そんなことわかりきっているはずなのに、わたしは、彼がみる夢にすら嫉妬する。
起こしてまで声がききたい、表情をみたい。遅い、遅すぎる、相手を間違えた分離不安。



わたしは、時間が経過しないと自分の気持ちを吐き出すことができなくなっていた。そして苦しんで、今も苦しいのだ。
「大いに退行してよろしい」
主治医はそう言うが、やはりわたしは妹がいちばん怖い。

*1:エディプス・コンプレックスの性別違いバージョン