クリニックでのカウンセリングは、これで2度目になる。もしかしたら、カウンセラーの資格をもつ女性との対面は、初めてかもしれない。それまでは、主治医が実施していてくれたのと、大学の先生(心理学)に頼んでいたからだ。解決した問題もあるし、解決しなかったものもある。解決する前に悪化してしまった問題があれば、カウンセラーなしでどうにかやってきた問題もある。
果たしてカウンセリングというものが、『わたしにとって』正しいかどうかはわからない。向いているか向いていないかすら、わからない。だから、見定めに行く。向いているのか、いないのか。金銭的時間的な問題は別として、ときおり苦痛にさえ感じるこれを、続けられるのか。
もっと他に、自分を見つめる方法があるんじゃないか、と思ったこともある。どんづまりにあってさえ、人は自分を見つめたいと思えば見つめられる。深奥にたどり着くことも、決して不可能ではない。だが、見つめ続けて、深奥を覗いたとき、人はひとりで立っていられるだろうか? 立っていることができても、目を逸らすことなく向き合えるだろうか…?
自分ひとり、見つめられない。
それは、己の弱さであり脆さだ。
けれど。
強いだけ正しいだけの人間なんて、居ない。
心理テストの結果を、いくつか告げられる。ほとんど、自分で感じていたものばかりで、ただ、その問題がテストという行為によって明白になったに過ぎない。このテストだけでは判明しなかったことも、会話のうちにあきらかになっていくだろう。テストだけが全てなら、わたしは知り合った人全員に心理テストをすれば済むことで、会話をする必要などないのだ。
いつか「書くことと伝えることは、違う」と思ったように「話すことはできるのに、誰かに質問されて、思ったことや感じたことを伝えるのが苦手」な性格をしている。自分から話したり伝えたりすることは平気でも、問われて返すときに無難な答えを探してしまう。人は誰もが同一ではないがゆえに、違う言葉を口にする。違う行動を取る。
ごくごく当たり前のことなのに、わたしは「あなたは違う」と『捨てられる』恐怖から抜けだせないでいる。
「過去に重大なことがあって、それが強い不安を呼び起こしている」
…なんて言われて、「…どれが重大だと思いますか? 28年くらい生きてると、色々ありますから」と、カウンセラーに他人事のように訊いて、自分の過去なのに、どうしろと言うのだろうか――「ご自分では、どう思われますか?」そして、わたしは答えられない。家庭とかの人間関係じゃないんでしょうか? と、他人のような口調での返事しかできない。これは今に始まったことではなく、22歳頃からみられる言動だ。注意されるまで気づかなくて「きっと、自分を愛してないからでしょうね」なんて、やはり他人事のように返事をしていた。
何かがあるはずなのに、自分のことは何も見えない。それがわたしだ。
2週間ろくに寝られなかったせいか、話していると動悸と眩暈がひどくなる。デパスを飲んで横にならせていただく。血圧が下がっているのか。眠れなかったせいか。ぐるぐると思考が脳で渦を巻く。思考と風景がとけあって、渦を巻いている。
「苦しい」
発作が出て苦しいと言ったのは、何年ぶりだろう。正直に苦しいと言える相手がいなくて、また、自分のつまらないプライドが赦さなくて、たったそれだけのことが、苦しみを倍増する。
発作が楽になるのを見計らって、カウンセリングを再開する。
「…憧れていたんです」
「何に?」
「真直ぐ激しく突っ走るように生きることに。
 そんな人は心が壊れる前に死んでしまうから、そうやって生きていけたのかもしれませんけど。
 そんなふうに、生きて死にたかったけど…わたし、壊れちゃいました」
わたしの生には、人生よりも死が前提にあった。
もしも、平均寿命が今よりずっと短かったならば、そんな生き方もできただろう。わたしのなかには、いつも、平均寿命の短い人(奈良時代並)ばかりが居て、闘って、血を流して、死んでいく。30まで生きられるかわからないような人ばかり居て、それは、裏返せば『先が見えないからこそ、今を限りに生きていくしかない人々』しか居なくて、『これから先、ゆっくり生きていこうとする人』が居なかった。
わたしはずっと、求めていたのだろう。いつも。
最高の死に場所を。
そして、囚われたのは、14歳のわたし――
憎んで恨んで怒って生きてきた、
「…哀しいと思いました。
 マイナスの感情に支配されて、生きるのは。
 今もあります。憎しみや恨みや、妬みや…怒りも哀しみも」
今だって、わたしは何かを憎んでいるし、恨んでいるだろう。こころの奥底で、怒って泣いて哀しんで、哀しみを憎悪や憤怒にすり替えないと、つらすぎるようなことも、あるだろう。
「わたし、親を憎んでました。
 憎まないと、やっていけなかった。
 去年の春に、ご両親が離婚した友達がいて…そこには、わたしがいました」
「お友達を見て、あなたはどう思いました?」
「哀しい、って」
わたしは、あのとき初めて「哀しい」と言った。哀しかった。憎しみや怒りさえ、生きる原動力にはできる。マイナスの感情に突き動かされてでも、生きていくことは、できる。そのかわり、自分が返り血をあびたときには、とても痛い。血にまみれて、人を憎んで「おまえに幸せになる権利など、あるか」と踏みにじり、復讐心に駆り立てられて鬼か悪魔のように生きていくことは、できる。
それでも、いつか知る日がくる。自分が血にまみれている存在だと、いうことを。
愛して愛される資格も、生きて幸せになる資格もない、つめたい地獄におちることを。
「そんなのは、つらくて哀しいです」
ほんの少しだけ、視線を違う場所に向ければ、違うものが見えてくるのに。
ただ、視点を変えさせるだけの何かが必要なだけだ。

わたしも先生も、今回は泣かなかった。
「ろくに眠れなかったからか、現在も過去すらも、遠く離れて見えるんです。
 …自分の過去じゃないみたいに」
わたしが寝ていた時間は、ロスタイムに入る。他の患者さん(依頼人)の都合もあるので、引き延ばすことはできない。
「今日、尾瀬羽さんと話していて、わたし、素敵なことに気づいたんです」
「?」という表情だけでも、筆談は滑らかに進む。
「しんどくて倒れても、自分の腕で立つくらい強いっていうこと。
 それと、マイナスの感情で生きていけるくらい、タフさがあるっていうこと」
「そうやって生きてて、倒れるようになっちゃったんですけどねぇ…」
わたしは強くはないけれど、タフということは認めている。わたしだけではなく、生命というのは、どんな生き物も総じてタフだ。どんなに打たれ弱くても、自力で立ち上がることだけは、決して忘れないから。