敢えて「雑記」としてみる「学級崩壊」――何故「雑記」となるのか。「時事問題」であるはずなのに「雑記」扱いされるのか――それはわたしの過去がそうであったからだ。神経症ゆえに教科書を大勢の前で読めず、楽器も扱えない。じゅうぶんに問題であったはずなのに、どうしてか保護者がその連絡を受け取っていなかったことが、また明らかになった。道理で、わたしが学校でイジメを受けていたなんて、わからなかったはずだ。
イジメも楽器も教科書も、授業や学校生活の妨げになったはずだ。
なのに、それを報告していない教師の神経をわたしは疑う。
今更それで「崩壊した!!」なんて、ちゃんちゃらおかしい。

保護者から、家庭の事情についての報告は受け取っていたくせに。

学校で起きたことを保護者に報告するのは、義務ではなかったのか?

義務ではなくても「報告すべきかどうか」判断するのはそれこそ「義務」ではないか。
わたしはこのことについて、当時の担任から「知らなかった」という証言を得ている。
それでは「義務の果たしよう」もどうしようもないわけである。

もしもその段階で神経症やイジメがわかっていたなら…?
神経症は誰のせいでもないとしても、その発端を見抜けないのは甘くはないか。親もだが)



仕方無い。クズに巡り会った運の悪さをせいぜい呪えということか。
わたしが親なら(あり得ないけど)、クビにしてもらうしか他に処分はない。