「ぼんやりと過ごす」と書くよりは「ぼんやりと生きる」と書いたほうが似合っているのかもしれない。
脳が上手く働いてくれず、昼寝をしないと動けない。夜も寝付きにくい割には、寝起きがとても悪い。何もかもがはかどらず、読書さえ停滞する。しまいには、「あの本どこに置いたっけ…」と、製本業界の限界に挑戦しているような京極夏彦の新刊を探すしまつだ。本当はとてもわかりやすい場所に置いてあるのに、わたしは「前にそこで読んでいた」ことすら忘れてしまい、「そこに本があるのに見えていない」のだった>全く別の場所を探している。記憶がこまぎれになっていて、1回分だけ抜け落ちているような具合

天気が悪いとぼんやりしてしまうから心配ないよ、と言ってもらえはするが、たった少し雨の日が続いたからといって、何故ここまで落ち着きがなくなったり、不安になったり、しんどくなるのだろうか。やはりわたしの脳はもう疲れ果てていて、回線がパンク寸前になっているのだろうか。主治医は「ほとんどα波が出ていない」と、脳波を見て言うが、まさにその通りに脳がなってしまっているのだろう。だから疲れるのだが、薬を飲んでも脳はα波を出してはくれない。どうすれば出してくれるのか。出す脳になるのか――そんなことを考えるから更に悪化させてしまうのだ、とはわかってはいても。


もう疲れた、休みたい、起きていたくない、でも寝たくない。
寝たら何もできなくなってしまうではないか…
ちぐはぐな答えにもならない返事をするわたしに、体が悲鳴をあげている。
ここはひとまず、寝てしまおう。
ずっと昼寝をするのを我慢していたのだから、数日ぐらいなら構わないだろう。
正倉院展の前に倒れるようなことにはなりたくない………



それをしては駄目だ、と、「ノー」と言うわたしが居る。
たぶんそのわたしは、言う方向を勘違いしているのだと思う。
してはならないことはたくさんあるが、どうして体を休ませるのがいけないことなのだろうか。
「昼寝をしたら用事がすませられない」
その通りだろう。しかしわたしは疲れている。
ぐちゃぐちゃに乱れた文章も直せないほどに。

おそらくわたしは、休みたくはないのだ。それを認めたくないだけなのだ。