毎日のように不安発作が起きると、もはや闘病をしているのか、生活をおくっているのか、それが日常というものなのか、わからなくなってくる(というようなことは、前にも書いた)。ここ数日「これでもか、これでもか!!」という勢いの動悸が襲いかかる。
息ができない…
月曜日から点滴が始まったが、火曜日は点滴終了まぎわに発作。処方が変わったので、薬がこれ以上飲めない、なんていうときに発作が来てくれた。もう飲めないから注射してくれ、他の薬プリーズ…と、朦朧としながら主治医に頼んでいる。セルシン処方。
注射前に何とかおさまったので、迎えに来てくれた父の車にて帰宅するも、右に左にヨタヨタしていてとても危険である。月曜日もヨタヨタしており、ここまでひどくはなかったけれどもやはり、つらい。
過換気って、こんなに苦しかったんだ…?
初めての発作は、今からもう10年も前になる。この発作が、わたしを薬漬けにする発端となった。昼間は何ともなくても、夜になると出る発作は、その頃何の知識もなかったわたしをパニックに陥れるには充分すぎる威力をもっていて、父もそれまで健康そのものだったわたしが真っ青になって「息ができない。苦しい」と毎晩悶えていたから、まだ水道も復活していない、下手すると電気さえもない夜間救急をハシゴした。この時期、医師は今ほど足りていなかったため、「よそへ行って」と一蹴されるのくり返しで、夜明け頃まで走り続けた父の車の中で「だいぶ楽だから…ごめん。ごめん」と、力なく涙をこぼしたことを思い出す。
わんわん泣くような元気は、もう、なかった。
決まって、夜にだけ起きる発作。
「思い当たるようなこと、ありますか?」
「不摂生してます」
「どうして不摂生をするの?」
「…夢をみるから。夜は怖い。暗い。眠れない」
「どんな夢をみるの?」
「…地震
数日後、わたしにやっと診断が下された。
PTSDだった。
今の状態は、このときに良く似ている。食べることも飲むこともできず、点滴で生きていた。しょっちゅう熱を出しては点滴を受け、大学も休みがちだった。薬の副作用で起きられなくなっては泣いて、苦しいと言っては泣いて、あの頃は本当に泣いてばかりいた。
祖父が優しかったから、甘えられるのが救いだった。

点滴では、足りない栄養と水分を補ってやれるだけで、元気にはなれない。かといって、食べれば胃が受け付けないで吐き気ばかりする。それもそうだろう。神経性胃炎に抗うつ剤だけを飲んで、胃が疲れないはずないのだから。
1年で、やっと過換気が治ったと思ったら、今度は激しい偏頭痛に悩んだ。
いつか、パニック発作に襲われた友に、
「絶対治る」
と言ったわたしは、苦しくてどこかへ消えてしまいそうだ。
幾つハードルを越えれば良いのか、もう、わからない。
それでも。
こんな発作に、負けてなんて、いられない。
やらねばならないことも、やりたいことも、山ほどあるのだ。
邪魔するな!!

相手がPTSDでも、MRSAでも、ひとつだけハッキリしているのは、
負けてたまるか、ということだけだ。
最大の敵は、いつも自分。