しばらく出入りをたまにしかしていなかった、日記才人を覗く。
そのうちわたしが登録させていただいている日記は毎日更新が続いていて、せっかくMacも直ったのだしと、治っていない体は? と思いつつも、体調管理のために少し早まった就寝時間までに読みたくて、体調不良で読めなかった日も入れると、数ヶ月になる日記を一気に読む。
あかん。おもろすぎ。(本日分は、江草乗さんの日記)
タイマーを見ると、3時間近くが経過している。毎晩微熱の出る体ではつらすぎるので、頓服と眠剤を使いながら布団へもぐることにする。明日は内科と精神科(領収書は「神経科」表記だが、主治医は精神科医)に薬をいただきに行かなくては。
眠れるかな…最近、早期覚醒が続いているせいか、輪かけてだるい。やりたいこと、やらねばならないことは山積みなので、ネットの時間はかなり減る。説明書ならいざ知らず、テキストや小説片手にパソコンはできないし、家事もできない。やっとインフルエンザの治療から解放されたのだから、家事ができるうちにやってしまいたい。入院すると、やりたくてもできないのが家事だ。
…動悸をこらえて探したのに、いつも使っている柔軟剤と柄物漂白剤がそのドラッグストアになくて、少し気落ち。新しい柔軟剤を試してみるチャンスだが、漂白剤…!
普通のブリーチを使うと、生地によっては穴があいて色が抜けるものもある。さんざんそれで学生時代泣いたので、お気に入りの服をパアにしてなるものか(しかも病気で派手に痩せたので、服がぶかぶか…2ヶ月で6キロ近く落ちました)。ブリーチといえば、ブリーチ違いで久保帯人著《BLEACH》新刊出てたなぁ。今は亡き志波海燕が黒髪にした一護に見えてしまったのは、やはり眼精疲労のおかげかも。そして、カイエンって名前はありがちなのか、と永野護著《ファイブスター物語》の2005エディションを見つめてしまう。
頼む、たまには目に休息をくれ――と嘆いてみたものの、Macのリカバリーをして新聞を読みTVも観、小説やマンガを楽しみたいのならどれかふたつは、あきらめたほうが賢明よ? …しかし、何かに没頭していないと、自分に対してらちもないことを考えてしまって、涙がとまらない。本でも涙は(そこは泣くべきシーンではなかったとしても)とまらないが。

輝夜姫 (27) (花とゆめCOMICS)

輝夜姫 (27) (花とゆめCOMICS)

これは《輝夜姫》のワンシーンだが、
「人を……人を殺すいいわけに、僕や聡を使うな。碧がそう言ったんだ…。碧が…、だから。だから…」
人を信じて、信じて信じて――信じて信じて信じて、許して許して。
「だからだ! だからだ、だからだ。だから!! くそっ。くそっ」
「やっぱり死んじまったじゃねーかよっ。バカ!」
最終巻で死亡に至った碧は、死の直前にあっても「もう殺さないで…」と、自分を撃ったマギーに告げる。そんなだから死んでしまったのだ、と楓はマギーに放った弾丸の狙いをはずして泣く。自分の生命を投げ打ってまで救おうとしたまゆに看病された碧は、意識が回復しても麻痺の残る身となり、ベッドに横たわってこう話していた。
「愛して、信じて、許す事」が、怒りにかられて人殺しになった鬼を人間に戻す方法だと、淡々と、しかし真摯に。生きるために犯罪をはたらいていたこともある楓や守たちに、その言葉を届けるのは、どれほど苦労しただろう。
「悠長に信じて許してる間に、おまえなんて鬼に100万回殺されちまうよ!!」
「いいや、100人に一人でも一万に一人でもいい。ちゃんと愛されて許されて信じられて、『鬼』が『人間』に戻れたら、少しずつ少しずつ戻れたら…」
碧はにっこり笑って続けた。「そしたら、いいよ」
人や何かのために死ぬことは、ひどくバカげて見えるかもしれない。みずからの信念をつらぬくためにいのちをかけることは、たとえば人命救助なら崇高で賞賛にあたいすべきものであり、自爆テロなら(とっても平和で宗教の自由のある)日本人からしたら「おかしい」行為に映るだろう>終戦直前には回天魚雷なんてありましたが、特攻隊員の方々を愚かという権利は戦後生まれた人間にはない、とわたしは考えています
何かを裏切るより信じないより、裏切られてもなお信じて愛して許すことは、裏切りを怒って憎むよりも、ずっと難しい。おまえのせいで信じられない、おまえのしたことで傷ついたのだ、と言い放って疎み、遠ざけることは簡単だ。「それでもわたしは、あなたを許す」と口にするのさえ、できないことのほうが多い。
こころをひらくことは、閉ざすよりもずっともっと難しい。こころをひらけばいつか何かに傷つけられ裏切られ、怒りにまかせて血をまきちらして涙はとまらない。それは苦しくて痛いことだ。だけど、そんな痛みや苦しみさえ受容してしまうことによって、自分も人もしあわせになれる方法は…探せばあるだろう。ただ、探さなかっただけだ。おひとよしがすればいい、自分はごめんだと。


それでも。
人間はしなやかな魂をもっているのだと、
ずっと信じているわたしが、いる。
嘘をつかれても「今はそれでいい」と、ほほえみたい、わたしが、いる。
そして、そう在りたいのならば、強くならねばならないとも、また思う。